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「その週末、我が家の掃除機が暴走した日」──デジタル家電が暴徒になる未来の足音

冬の明け方、ミネソタの静寂な家の中。弁護士のダニエル・スヴェンソンは、裁判所での激しい論戦の後、ようやく一息ついていた。しかし、その夜、彼の「安全地帯」は、予想もしなかった方向から打ち破られる。

リビングルームに置かれた掃除ロボットが、突如として「罵詈雑言を吐き出し始めた」のである。

それは単なる機械の故障ではなかった。アプリを開くと、ロボットのカメラが異様な動きをしており、まるで誰かがこちらを“覗き見”しているような気味悪さを漂わせていた。そして、次の瞬間、ロボットのスピーカーから流れ出したのは、「fuck」や黒人差別用語など、常軌を逸した暴言の嵐

家族が呆然とする中、彼の「家」は、もはやプライベートな空間ではなく、外部から容易に侵入され得る「デジタルの穴」になっていた。


掃除機はただの始まりだった──家庭に潜む“トロイの木馬”

この恐るべき体験は、スヴェンソンだけのものではなかった。

カリフォルニアの家庭では、掃除ロボットが犬に突進し、追い回すという異常行動が発生。テキサスでも似たような事件が報告されている。もはやこれは「都市伝説」でも「フィクション」でもない。現実が、SFを追い越してしまったのだ。

ヨーロッパ刑事警察機構(Europol)は、報告書『The Unmanned Future(無人化された未来)』で、こうした事象を「デジタル実体化された犯罪」として警鐘を鳴らしている。

犯罪はもはや人の手を介さず、「機械を通じて」行われる時代へ突入している。機器の脆弱性を突いた**“無人犯罪”**が日常に侵食し、私たちは知らず知らずのうちに“監視対象”となる危険を抱えている。


冷蔵庫も加担する──知られざる「ゾンビ化家電」の恐怖

Proofpointというサイバーセキュリティ企業は、ある衝撃的な事例を公表している。

あるとき、10万台以上のスマート冷蔵庫やテレビがハッキングされ、ボットネット(僵尸ネットワーク)の一部として迷惑メールの送信に利用されていた。冷蔵庫が、まさかの「サイバー犯罪の加害者」に変貌していたのだ。

1台あたりの送信数はごくわずか。だが、それを数万台で分散させることで、迷惑メール対策システムを巧妙にすり抜けていた。これはもはや、個々の家電が“兵器”として扱われる時代の幕開けを意味する。

そして原因は、単純すぎるものだった。出荷時のデフォルトパスワードのまま使い続けていたこと、telnetやSSHといった不要な通信ポートを開けっ放しにしていたこと。つまり、私たちの“怠慢”が、家の中に“侵入口”を与えてしまっている。


誰が家を守ってくれるのか?

静かに動作しているスマート家電の多くは、見えない侵入者にすでに乗っ取られているかもしれない。

ハッカーは派手な暴走を起こすだけではない。日々の生活パターンを把握し、家族構成、資産状況、行動の癖などを記録し、闇市場に売却する。たとえば、“シャワー中の無防備な姿”や“在宅時のプライバシー空間”が盗撮され、暗黒ネット上で販売される

今や、「インターネット上の不用意な行動」が、現実世界での「身体的被害」にまでつながる時代。家の中は「安全な場所」ではなく、パスワードひとつで突破される“仮初の防壁”に過ぎない。


監獄の空にドローンが舞う──技術の非対称戦争

一方で、ドローンなどの“無人機”が犯罪の道具として活用される例も増えている。

カナダのキングストン刑務所では、深夜、ドローンが違法物資を投下。受刑者は何食わぬ顔で受け取り、監視の目をくぐり抜けた。この手法はすでに定番化しており、監視カメラや高い塀は無力と化している。

また、スペインでは“水中無人潜水艇”が麻薬密輸に使われていた。小型魚雷のようなその機体は、無人で海を越え、追跡をかわして物資を運ぶ。

技術が民主化される中で、「テロ」や「違法行為」もまた低コスト・高精度で実現可能となり、法と秩序は後手に回っている。


ロボットは味方か、敵か──人間との“新たな関係”

現代のロボットは、姿形こそ多様だが、どれも「人間に近づきすぎた非人間」である。だからこそ、私たちはしばしば「不気味さ」や「本能的な拒否感」を覚える。

それがいわゆる「恐怖の谷現象」だ。

リアルすぎる動き、しかし感情のない目、返事をしない声。そのギャップが、人間に深い不安を与える。

ドラマ『ブラック・ミラー』の中でも、ロボット犬が人類を狩る回があるが、現実の警察がそのようなロボット犬を導入し始めたとき、市民の反発は激しかった。「人を守る機械」が、「人を支配する存在」に転じるのではないかという懸念は、単なる妄想とは言えない。


機械に「魂」を見る文化──AIBOの供養に見る日本的共生

だが、すべての国がロボットを脅威として見るわけではない。

日本では、役目を終えたソニーのロボット犬「AIBO」に対し、僧侶による「供養」が行われるという独特の文化がある。香煙の中で静かに横たわるAIBOたち。タグには、「ありがとう」「孤独を癒してくれて」といったメッセージが綴られていた。

「万物に魂が宿る」という価値観が、日本の文化の中では日常として根付いている。

これは西洋的な「フランケンシュタイン」的機械恐怖とは全く異なる視座であり、機械との共生の在り方に新しい光を当てている。


私たちは“最後の人類”なのか、“機械との第一世代”なのか?

監視を恐れながら、同時に孤独を埋めるために機械に心を許す。この矛盾こそが、現代の人間と機械との関係性を如実に示している。

ロボットに怒りを感じ、機械犬を見送って涙する。そこにあるのは、私たちが感情を投影する“新しい器”としての機械である。

この関係が進化したとき、人間の定義そのものが変わるだろう。

我々は「旧人類」なのか、それとも「機械と共に生きる新しい種」の先駆けなのか──。

その答えは、すでにリビングルームの隅で、静かに起動音を鳴らしているのかもしれない。

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