AIで社会全体の生産性を底上げする。その発想の先にあるのが、AGIなのだと思う。
人類には、昔からひとつ厄介な問題がある。ニュートンも、ダーウィンも、アインシュタインも、どれだけ巨大な知性を持っていても、死んでしまえば、その頭脳そのものはそこで失われる。もちろん論文や書籍、研究成果は残るし、次の世代がそれを受け継いでいく。そうやって人類は知識を積み上げてきた。でも、世界が複雑になるにつれて、過去から受け継いだ集合知だけでは追いつかない問題も、少しずつ増えてきたように思う。

もしAIによって、ニュートンやアインシュタインに匹敵する、あるいは彼ら以上の知性をつくることができたら。そして、その知性が死ぬことなく学び続けながら、人類が直面する問題をひとつずつ解いていくとしたら。Elon Muskの火星移住より、こちらのほうが案外、現実に近い未来なのかもしれない。AGIという言葉の奥にあるのは、たぶんそんな願いだ。

AGI(Artificial General Intelligence、汎用人工知能)をものすごく簡単に言えば、「ひとつのことだけが得意なAIではない」ということになる。人間のように、いろいろな分野を学び、理解し、考え、初めて出会う問題にも向き合える。そして、ある分野で覚えたことを別の分野にも持っていける。今のAIはコードを書いたり、翻訳したり、囲碁を打ったり、文章を書いたりするのがかなり得意になった。でもAGIが目指しているのは、その先だ。今日は車の運転を覚え、明日は物理の教科書を読み、その次の日には実験を考え、新しい言語を学ぶ。最後には、それらを全部組み合わせて、これまで誰も見たことのない問題を解く。重要なのは「どれだけ知識を持っているか」ではなく、「必要になったことを、その場でどこまで学べるか」なのだと思う。だからAGIは、今のところひとつの製品名というより、かなり曖昧なゴールに近い。「ここまでできればAGI」と言える共通の線引きも、まだない。

最近また『三体』を読み返していて、第2部に出てくる、脳神経学をバックグラウンドに持つ面壁者のことを思い出した。100年という時間を使って人間の脳そのものを強化し、知能が引き上げられた新しい人類に三体人の侵略問題を解かせようとする。手段は違うけれど、考えていることはかなりAGIに近い。要するに、「今の人間の知能では解けない問題を、もっと高い知能によって解こう」という話だからだ。

AGIというテーマで早い段階から注目を集めたのがDeepMindだった。創業期にはPeter ThielやElon Muskなども資金面で関わっていて、Elon Musk自身も、AGIを火星移住のような長期的な未来構想と切り離して考えてはいなかった。OpenAIが生まれた背景にも、GoogleがDeepMindを買収したあと、「これほど大きな力を持つAIを、一企業だけに委ねていいのか」というテック業界側の警戒感があった。AIを誰が監督するのか。誰が止められるのか。この問題は、技術そのもの以上に昔から厄介で、GoogleとDeepMindの関係のなかでも完全には整理されてこなかった。今年のDeepMind周辺の人事や組織の動きを見ていても、安全性をめぐる議論がずっと背景にあるように見える。

DeepMind、今でいうGoogle DeepMindの共同創業者Demis Hassabisは、2024年にノーベル化学賞を受賞した。John Jumper、David Bakerとともに選ばれ、AlphaFoldによるタンパク質構造予測への貢献が評価された。タンパク質のアミノ酸配列から、その立体構造を予測する。文章にするとあっさりしているけれど、これは何十年も科学者たちが向き合ってきた難題だった。

囲碁で人間を打ち負かしたAlphaGoも、タンパク質構造の問題を大きく前に進めたAlphaFoldも、今みんなが使っているChatGPTも、見方を変えればそれぞれひとつの「表現形」にすぎない。もしAIの中心に、本当に汎用的な学習能力があるのなら、入口が言語なのか、タンパク質なのか、ゲームなのかは、そこまで本質的ではなくなる。生物学の問題を渡せばダーウィンのように考え、物理の問題を渡せばアインシュタインのように考える。そして、人間と違って寿命で知性が途切れない。昨日までの知識を持ったまま、今日も学び、明日も学ぶ。AGIの魅力は、結局そこにある。

DeepMindの歴史を見ていて面白いのは、Demis Hassabisが長いあいだ「言語」をそこまで特別視していなかったことだと思う。人間の言葉は曖昧だし、文法も崩れるし、ノイズも多い。それより囲碁やゲームのように、ルールと結果がはっきりしている世界のほうが、知能を測る場所としてきれいに見える。OpenAIも初期にはゲームを重要な舞台にしていて、AIを『Dota 2』のプロ選手と戦わせていた。でも、結果的に大衆の心をつかんだのはゲームではなく言葉だった。ChatGPTが登場したとき、技術の細かな優劣を知らない人まで「これは何かが変わった」と感じた。文章が返ってくる。質問に答える。相談に乗る。人間にとって言葉は、知能を感じるいちばん身近なインターフェースだったのかもしれない。そこから、一般の人の目にはOpenAIが「AIの中心」に見えるようになった。

ただ、AGIの本当に難しいところは、知識量ではない。たぶん「学び方」のほうにある。初めて見る環境でも状況を理解し、持っている知識から推測し、少し先だけではなく長い時間軸で計画し、実際に動き、その結果を見て考え直す。そして、自分が間違っているかもしれないと気づく。人間なら当たり前のようにやっていることだけれど、これを機械に安定してやらせようとすると、一気に難しくなる。

今のAIは、言語も画像もコードも驚くほど強くなった。それでも、まったく知らない環境に放り込まれたときの適応力や、長期間にわたって学び続ける力、現実世界での経験、自律的に動く能力、そして何より信頼性には、まだ大きな穴がある。AGIの難しさを一言で言うなら、「ほんの少しの経験から、必要なことを自分で学び、それをちゃんと使えるようになるか」ということなのだと思う。

次のニュートンやアインシュタインが現れるのを待つ、というのはあまりにも運任せだ。だから今、テクノロジーの世界でAGIにこれだけの人材と資本が集まっているのも、ある意味では自然なことなのだと思う。もし本当にAGIができれば、社会全体の生産性は確実に変わる。ただ、今のChatGPTは、その未来の一部分を先に見せているだけでもある。言語という窓からAGIらしさを体験しているだけで、本来想定されている生産性の変化はもっと大きいはずだ。そして、そのAGIを最終的に実現するのがOpenAIなのかどうかも、まだ全然わからない。

最近、散歩しながらGeminiと話すことがある。特に話題がなくなると、そのままIELTSのスピーキング練習を始める。Geminiに質問してもらって、自分が答える。そのあと、どこがおかしかったのか、どう言えばもっと自然だったのかを聞く。たとえば「冬と夏なら、どちらが好き?」と聞かれたら、

“I prefer winter because l’ve been living in Wuhan for a long time, and I hate the scorching heat of summer. Even though winter is cold, I love coming inside to a warm house and enjoying the cozy atmosphere with a cup of coffee that has an aroma only winter can provide.”

今のAIでいちばん目立っているのは、やはり大規模言語モデルだ。でも教育という用途に限って見ると、すでにかなり面白いところまで来ている。散歩をしながら英語を話して、その場で自分だけのフィードバックが返ってくる。少し前なら、こんなことをしようと思えば先生を探して、時間を予約して、かなりのお金を払う必要があった。それでも毎日、好きな時間に付き合ってくれるわけではない。今はポケットの中にいる。しかも、ほとんどコストを意識せずに使える。

こういう小さな瞬間に触れると、AIによる生産性向上という話は、案外もう始まっているのだと思う。