コンシューマー向け電子機器のイノベーションが、揃って停滞期に入りつつある。そんななか、メーカー各社のあいだでは、どこか奇妙な共通認識が生まれている。「電気が通るものには、とりあえずカメラを付けておけ」。

ところが、若者たちのあらゆる隙間に入り込む「映え文化」と、常識を無視した“邪道系”の美学にぶつかれば、どれほど高貴で洗練された工業デザインであっても、ネット民の遊び道具になる運命からは逃れられない。今回、その餌食になったのがDysonだ。流体力学と超小型レンズ技術の粋を集めたはずのスマート歯ブラシが、あろうことか「水を噴射できるレトロ魚眼カメラ」として扱われてしまったのである。

次に買うカメラが、カメラである必要はない

発明家ジェームズ・ダイソンも、まさかこんな未来は夢にも思わなかっただろう。661人のエンジニアを投入し、6年の歳月をかけ、38件もの特許を取得して完成させたスマート歯ブラシ。それがネット中で一躍有名になった理由は、レトロカメラとして使われたからだった。

先日、Dysonはパリで同社初となるオーラルケア製品、「CameraJet マイクロビジョン・ジェット電動歯ブラシ」を華々しく発表した。価格は¥79,800。最大の特徴は、ブラシヘッドの下部に直径わずか1ミリの超小型カメラを搭載したことだ。カメラ自体は10万画素にすぎないものの、毎秒28フレームで歯間をスキャンできる。さらに、47万枚の口腔画像を学習させたDyson独自のAIアルゴリズムと組み合わせることで、わずか0.1秒で歯間の位置を特定し、高圧の水流をピンポイントで噴射する。

Dysonが思い描いたシナリオでは、これは流体力学とコンピュータービジョンを武器に、従来のオーラルケアを一段上の次元へ引き上げる製品になるはずだった。しかし、ネット民の発想というものは、いつだってメーカーの想像を軽々と飛び越えていく。Dysonが苦心して作り上げた価値提案などそっちのけで、ユーザーの視線はブラシヘッドに埋め込まれた、あの小さなレンズに釘付けになった。

Instagramで活動するある機材系クリエイターは、実際に500ドルを払ってこの“水を噴く歯ブラシ”を購入し、堂々とパリのシャンゼリゼ通りへ持ち出した。そして、その場で本格的なストリートスナップを始めたのである。本人はSNSで、「写真界には昔から、“歯医者はライカ好き”っていう定番ネタがある。だからこの歯ブラシを初めて見た瞬間、マクロカメラみたいな見た目だし、これで街撮りしなかったら世界に申し訳ないと思った」と語っている。

Dysonは口腔内のプライバシーに配慮し、CameraJetを「画像を保存しない・クラウドへ送信しない」仕様にしている。専用アプリにも、撮影ボタンどころか録画機能すら用意されていない。だが、そんなものはこの“機材邪道ユーザー”を止める理由にはならなかった。右手で歯ブラシを構えて構図を決め、左手でスマートフォンのスクリーンショットボタンを連打する。Dysonが莫大な開発費を投じた精密機器は、この瞬間、完全に低画質のワイヤレスファインダーへと成り果てた。

実際に撮影されたストリートスナップを見ると、画面には強烈な魚眼歪みが広がり、全体は赤外線暗視カメラのように緑がかっている。ホワイトバランスも、気分次第で漂流しているような状態だ。あるメディアは、その映像を「初期のAIが生成した“ウィル・スミスがスパゲティを食べる映像”のようだ」と評した。歯ブラシとして見れば、カメラ並みに高い。カメラとして見れば、歯ブラシで撮ったような画質だ。その壊滅的な描写力は、十数年前のNokia製フィーチャーフォンで撮った失敗写真にすら完敗しかねない。

ところが、“邪道機材”で知られるこのクリエイター本人は、かなり満足している。彼に言わせれば、写真の世界でよく語られる「最高のカメラとは、そのとき手元にあるカメラだ」という言葉が、またしても荒唐無稽な形で証明されたというわけだ。普段はミニマルな工業デザインをまとい、口を開けば流体力学を語るDyson。そんな気高きブランドが、ネットユーザーの一蹴によって、突如として“民間アングラ写真界”へ放り込まれてしまったのである。

イノベーションが足りないなら、カメラを足せ

本来カメラなど必要なかった機械にレンズを載せる。ハードウェア史には、それを教科書級の成功へ変えた企業が存在する。DJIだ。2013年にDJIが初代Phantomを発売した当時、機体に付いていたのは簡素な外付けマウントだけだった。ユーザーは自分でネジを回し、GoProを取り付ける必要があった。

しかしDJIはすぐに、あることに気付いた。飛行制御アルゴリズムやブラシレスモーターだけを突き詰めても、それはラジコン航空機マニアだけの狭い世界に終わる。一般の人々が本当に欲しかったのは、空を飛べる“目”だったのだ。そこでDJIは、カメラを中心に飛行システム全体を再設計した。その結果、「コンシューマー向け空撮」という新しいカテゴリーそのものを生み出した。後にはジンバルとカメラだけを切り出し、わずか100グラムほどのOsmo Pocketという新製品まで生み出している。DJIにとって、カメラとは製品進化の“出発点”そのものだった。

ただし、レンズ1個を載せるだけで市場そのものをひっくり返せた時代は、すでに遠い過去になりつつある。製品イノベーションが成熟期に入り、新しさを説明するのが難しくなった今、メーカーにとって最も手っ取り早い方法は、製品に“目”を与えることだ。新たな知覚能力を追加し、AIが現実世界を理解するためのセンサーとして利用する。ロボット掃除機やロボット芝刈り機なら、高度な障害物回避にカメラが必要になる。電気自動車なら、視覚ベースの運転支援システムがある。Bloombergが報じたAppleのカメラ搭載AirPods構想も、現実世界の映像情報をリアルタイムでApple Intelligenceへ入力することが狙いだとされている。

DysonのCameraJetも、その延長線上に生まれた、かなり攻めた製品といえる。しかもDysonは、口の中でカメラが歯磨き粉の泡に覆われてしまう問題を解決するため、わざわざ専用の無発泡歯磨き粉と低発泡マウスウォッシュまで開発し、製品に同梱した。実にDysonらしい。この会社は昔から、身近な日用品を一度バラバラに分解し、既存の常識を作り直すことが好きだ。掃除機からは紙パックを消し、ドライヤーからは羽根を消し、そして今度は歯ブラシに“目”と超小型ポンプを生やした。

これまでDysonの高価格が市場に受け入れられてきた最大の理由は、その技術的な進化を触った瞬間に実感できたからだ。サイクロンによる遠心分離も、羽根を見せないエアフローも、使い始めた瞬間に物理的な体験の違いを感じられる。だが、歯ブラシは違う。オーラルケアは、効果を実感するまでに時間のかかる製品カテゴリーである。奥歯の裏側をAIがどれほど精密に認識し、水流をピンポイントで当てていたとしても、磨き終えたあと舌で歯をなぞった程度では、普通の人には「数千円多く払った価値」を直感的に感じにくい。だったらいっそ、街へ持ち出して写真でも撮ったほうが楽しい。そんな結論になってしまう。

これは、現在の高級ハードウェア全体が抱える問題でもある。エンジニアたちはナノ単位の最前線で戦い、目もくらむほど複雑なシステムを作り上げる。しかし、それが消費者の手元へ届いたとき、心の底から「これは欲しい」と思わせることは、以前よりはるかに難しくなっている。

カメラらしくないものほど、カメラとして使いたくなる

工学的に見れば、Dysonの10万画素カメラは、口の中へ収めるために大量の妥協を強いられている。極小サイズのセンサー、極端に短い焦点距離、広い画角を持つマクロ魚眼レンズ。そのすべては、そもそも真っ暗な口腔内で一本の歯間を捉えるためだけに存在していた。

ところが、物理的制約の果てに生まれたその“悲惨な画質”が、偶然にも現代の若者が熱狂する逆張り美学に完璧に刺さってしまった。今の若者たちは、スマートフォンの高度な計算処理が生み出す、完璧すぎる写真に少々食傷気味だ。シャッターを一度押せば、HDR、ノイズ除去、顔の美肌補正まで、すべてが自動で処理される。出来上がる写真はどれも美しい。あまりにも美しく、まるで工場のベルトコンベアから流れてくるプラスチック製のマネキンのようでもある。

大手メーカーが莫大な研究費を投じてノイズや歪みを消そうとしている一方で、若者たちは逆に、欠点を求め始めた。古いCCDデジカメは投資商品のような価格で取引され、カビ臭いテープ式DVカメラは、いつしかファッションアイコンになった。人々は、アルゴリズムに支配された画一的な“完璧さ”に飽き始めている。

だから、映像さえ出力できれば、どんな機械でも現代のネットユーザーにとっては一時的なカメラになり得る。むしろ、本来写真撮影に向いていない機械ほど、そのギャップは大きくなる。スマートロックも、ロボット掃除機も、これまで何度となく“被害者”になってきた。そして最近、新たに脚光を浴びているのが、格安で売られているカメラ付き耳かきだ。あるショート動画クリエイターは、それを使って飲食店の料理人のPR映像を撮影した。内視鏡特有の荒々しい視点でホルモン料理を撮った結果、完成した映像は、まるで犯罪捜査ドラマの現場検証シーンのようになった。

そしてDysonの歯ブラシは、この逆張り美学の条件を見事なまでにすべて満たしている。画面いっぱいのノイズ、緑がかった暗視カメラ風の映像、生まれつき備わった魚眼歪み、そして¥79,800という気高き価格。本来その場に存在するはずのない機械であればあるほど、その不条理さはSNS上で価値を持つ。

誰もが注目を奪い合う時代に、ライカを持ってパリを撮ることは、もはやあまりにも普通で、ありきたりだ。だが、デュポン製の毛がびっしり生え、水しぶきをシュッ、シュッと吹き出すDysonの歯ブラシを真剣な表情で構え、シャンゼリゼ通りでピントを合わせている人間がいたらどうだろう。その瞬間、不条理な前衛芸術としての完成度は一気に頂点へ達する。ハードウェアエンジニアが、それを精密機器として作り込めば作り込むほど、ネット民はそれを玩具にしたくなる。

断片化したインターネットの世界では、Dysonが積み上げた複雑な技術ストーリーなど、たった一言の冗談にあっさり敗北してしまう。

「Dysonが、写真も撮れる歯ブラシを出したらしい。」

画面の向こうにいる純粋な“面白ければそれでいい人たち”が欲しいのは、結局のところ、SNSへ投稿するきっかけだけだ。そして、映像を映せるすべてのものは、いつか一度はカメラにされる運命から逃れられない。