最近、ある友人と食事をしていた。彼は中堅のIT企業でプロダクトマネージャーをしているのだが、席上、ひたすら愚痴をこぼしていた。
先月、社内に全員宛のメールが送られたのだという。その内容はこうだ。
「AI時代が到来した。今後、AIツールの利用率を四半期の人事評価に組み込む。全社員は毎月、少なくとも60%の業務タスクをAIツールで行うこと。また、週報にはどのAIを、どう使い、どれだけ効率化できたかを詳細に記載しなければならない」
彼は私に聞いた。「オフィスの光景がどうなっているか、想像できる?」
「どうなってるんだ?」
「廊下を歩けば、誰もが画面にAIを開いている。ChatGPTだったり、Copilotだったり、社内製のAIプラットフォームだったり。でも、よく見てみろよ。5人に1人は本当に仕事で使っている。残りの5分の4は『演技』をしているんだ。AIの画面は開いたまま、別のウィンドウで自分の仕事をしている。週報には『AIで競合分析を行った』と書いてあるが、実際その分析は本人が3日かけて手書きしたものだ。AIとは一字一句も関係ない。でも60%というノルマを埋めるために、週報には無理やりAI関連の項目を詰め込まなければならないんだ」
しばらく沈黙した後、彼はこう言った。
「過去3ヶ月で、社内の『AI利用率』は3倍になった。でも効率は変わらないし、クオリティも変わらない。ただ、帰宅時間が遅くなっただけだ」
「なぜだ?」
「『演技』自体にも時間がかかるからだよ」
AIを「使う」ことが、新しい仕事になる
この事態の滑稽さは、ここにある。AIは本来、時間を節約するためのものだ。だが、会社がその使用を強制した瞬間、AIを「使う」こと自体が新しい仕事になってしまう。
週レポートを書くのに、本来なら10分で済む週報に、今ではさらに30分以上を費やしている。今週どこでAIを使ったかを思い出し、AIを使っていない工程をあたかも使ったかのように装い、利用率がノルマに達しているように見せかけ、AIを使った作業を「事例」として文章化しなければならない。
浮いた時間は、すべて「時間が浮いたことを証明するための書類仕事」に費やされる。
これは効率化ではない。「効率のマネーロンダリング」だ。真実のワークフローを、経営層の期待に沿った「AI駆動」バージョンにすり替えている。その作業に熱心になればなるほど、無駄な時間は増えていく。
一人ひとりが毎日30分を「AI利用週報」の作成に費やすチームは、AIも週報もないチームよりも遅くなる。
これは冗談ではない。今まさに、多くの企業で起きている「管理上の大失態」なのだ。
もっとハッキリ言おう。
君が人を雇い、給料を払うのは、その人が問題を解決できるからだ。今、君はその人に「AIを使って解決しろ」と命じている。だが、AIが役立つかどうかは、本人が一番よく知っている。ある作業では3倍速くなるかもしれないが、別の作業では何の役にも立たず、場合によっては逆に遅くなることもある。精密な判断が求められるアーキテクチャの意思決定で、AIに20個の案を作らせて一つずつ検討したら、自分で考えるより3倍の時間がかかるかもしれない。要件定義でビジネスサイドと擦り合わせが必要な場面に、AIが生成した「誤魔化した合意文書」を挟めば、誤解はさらに深まるだけだ。
ところが今、君は彼らにこう言っている。
「適しているかどうかに関係なく、使え。そして、使ったことを証明しろ。使用率が足りなければ、評価は下がる」
プロの仕事を任せるために給料を払っているのに、いつどのツールを使うべきかという判断を、そのプロに委ねられないのか?
だったら、そもそも何のために雇ったのか。
強制が生むのは「パフォーマンス」であって、効率ではない
経営学には古典的な教訓がある。
プロセス指標を評価の対象にすると、その指標自体が機能しなくなる。
この法則が、AI利用率ほど残酷に現れる場所は他にない。
なぜなら、AIの使用状況は事実上、監視できないからだ。AIの画面を開いているかは分かるが、実際に問題解決に使っているかは見えない。Copilotのコード補完の採用率は分かるが、採用されたコードがそのまま放置されていたり、バグを生んだりしていないかは見えない。週報にAIの事例を書かせても、それが実体験なのか、優秀な社員が20分ででっち上げた「美談」なのかを見分けることはできない。
指標が正しく測れないとき、得られるデータは「真の利用状況」ではなく、「演技の上手い奴らの最高傑作」に過ぎない。
3ヶ月後、AIのダッシュボード上の数字は素晴らしく見えるだろう。利用率90%超、週報には「AIで〇〇を達成」という事例が溢れ、四半期報告では「AI転換は完了した」と胸を張れる。だが実態は、20%の労力で仕事をし、30%で仕事をしているフリをし、残り50%でそのフリが原因の混乱を収拾している状態だ。
君が見ている「AIによる効率化」のデータは、社員たちが君の聞きたいことを伝えるための新しい手段に過ぎない。
以前はプレゼン資料で「プロジェクトは順調」と伝えた。今は「AI利用週報」で「AIは効果絶大」と伝えている。
本質は変わらない。ただ、AIという外装を纏っただけだ。
強要されたAI活用は、最も危険な活用だ
もっと深刻なのはこれからだ。
社員がAIの使用を強制されると、「どうすればAIで仕事の質を上げられるか」を研究するモチベーションは生まれない。
彼らの関心事は、「どうすればノルマをクリアしつつ、バレずに済むか」だ。
これは怠慢ではない。愚かな評価制度が生み出した「合理的選択」だ。
もし「AIをどう使えば役立つか」の研究に時間を費やせば、試行錯誤やプロンプトエンジニアリングの勉強、効果検証に時間がかかる。これらは短期的には目に見えない。週レポートに「今日2時間、プロンプトの勉強に費やした」と書いたところで、AI利用事例としてカウントされないかもしれない。
逆に、「AIを使っているように見せかける」ことに注力すれば、既に終わった仕事をAIにやらせてスクリーンショットを撮り、週報に書くだけでいい。20分で終わる。ノルマは達成され、評価も下がらない。
「真面目さ」を罰し、「演技」を報酬とする仕組みを作れば、チームで最も賢い人間が真っ先に「演技」を覚え、最も真面目な人間が真っ先に辞めていくのは当然だ。
残るのは「AIを使っている」フリが上手い人間だけだ。
AIの最大の危険は「使われているか否か」ではなく、「乱用されているか」にある。KPIを埋めるために無理やりAIで書いた要件定義書は、論理的に整って見えるが、実はモデルが勝手に捏造した「もっともらしい仮定」で満ちている。レビュー担当者は一瞥して「よくまとまってるな」と流し、開発が始まる。途中でおかしいことに気づきPMに相談すれば、「AIが書いたから深く読んでない」と言われる。開発側は「今さら見直せないから、自分なりに解釈して進めてくれ」と言われる。
結果として、出来上がるものは当初の要件から3層ズレている。
AIが捏造した層、PMが確認しなかった層、開発が勝手に解釈した層。
そのすべてで乖離が生じ、責任のなすり合いが起きる。
インシデントが起きて振り返ってみても、誰も責任を負わない。「AIが書いた」「PMは確認しなかった」「開発が勝手に解釈した」。三者三様に責任を分散させれば、結局誰の責任でもなくなる。
これでもまだ「効率化」だと思っているのか?
君は組織的なレベルで、製品の品質と意思決定の質を引き下げている。しかも、全員がAIのKPIを達成しているため、誰もおかしいとは思わないのだ。
本当にAIを使いこなすチームは、強制されない
ここで一つ、明確にしておきたい。
私は社員がAIを使うことに反対しているわけではない。むしろ、AIを巧みに使いこなし、驚異的な効率と成果を上げ、メンバーの成長速度も凄まじいチームを数多く見てきた。
そうしたチームに共通する特徴は一つだ。
誰も彼らにAIを使うよう強制していない、ということだ。
彼らがAIを使うのは、自分たちで「役に立つ」と気づいたからだ。ある深夜、単純作業に辟易していた時にAIに投げてみたら、意外とうまくいった。そうして自然とワークフローに組み込んでいく。評価指標に駆り立てられる必要はない。本人たちがAIの直接的な恩恵を受けるからだ。効率化の成果は「毎日2時間早く帰れる」とか「思い描いていた改善に取り組める」といった形で、本人たちに還元される。
これこそが、AIが正しく使われる唯一の方法だ。
ニーズに引っ張られる形で導入されるべきであり、KPIに押し付けられるものではない。
企業が本当にやるべきなのは、社員にAIを強制することではない。もっとシンプルな3つのことだ。
第一に、お金を払うこと。誰もが良質なAIツールを使えるようにする。ケチる必要はない。AIの敷居を限りなくゼロに近づける。良いツールは自らを物語る。会社が推薦状を書く必要はない。
第二に、共有すること。使いこなしている同僚にノウハウを発表してもらう。ただの「AI推進総会」では意味がない。毎日2時間浮いた同僚に、チームミーティングで10分、具体的な操作と実際のメリットをデモしてもらう。役立つと思えば自然と真似るし、思わなければ無理に使わなくていい。強制した時点で効果はマイナスだ。
第三に、そして最も難しく重要なのは、信頼すること。社員がいつAIを使うべきか、使わざるべきかを判断できると信じること。彼らも仕事をうまくやりたいと思っていると信じること。監視され、評価され、パフォーマンス指標に追い立てられなくても、自分の仕事にとって最善の選択ができると信じること。
もし3つ目ができなければ、1つ目と2つ目をやっても無駄だ。
なぜなら、真の問題はAIの有無ではなく、君が根底で「採用した人間が仕事をうまくやれる」と信じられていないことにあるからだ。信頼のない組織では、どんなツールも結局は「君のためのショー」に使われるだけだ。
一番愚かなのは、社員にAIを強制することではない
社員にAIを強制することは、最悪の管理行動ではない。最も愚かなのは、全員にAIを使わせておきながら、自分自身の意思決定は一切変えないことだ。
部下にはAIで週報を書けと言いながら、自分はAIで読んでいるか? 違う。秘書に要約させている。
チームにはAIで効率化しろと言いながら、自分の会議の効率は上がったか? 違う。同じ議題について相変わらず30分も会議を続け、そのうち20分は誰もが知っている背景説明に費やしている。
PMにはAIでPRD(要件定義書)を書けと言いながら、自分の読み方は変わったか? 違う。相変わらずタイトルと冒頭1行を読んで、「方向性は合ってるな」と経験則で判断している。
君はAIを鞭にして皆を走らせているが、自分はその場に立ち尽くしたままだ。
社員たちは「AIで効率化されたフリ」をしている。君は「AI転換を推進したフリ」をしている。お互い違う方向で演技をしているだけだ。君は投資家や取締役、あるいは自分自身に向けて「AI推進」の芝居を打ち、社員は君に向けて「AI活用」の芝居を打つ。
唯一の違いは、君は週レポートにAIを使った証明をする必要がないことだ。経営者である君は、すでに「効率化された」ことになっている。
君たちは二人三脚で、AIをテーマにした巨大な遊園地を造り上げた。そこに並ぶアトラクションは、どれも巨大なスクリーンだ。画面には、見栄えのよい効率化の数値やAI利用率、一人当たりの生産性が右肩上がりに伸びていくグラフが映し出されている。
だが、その華やかな遊園地の土台を支えているのは、社員一人ひとりの不安と疲弊、そして信頼されていないことへの屈辱だ。
この遊園地に集まる人は、ますます増えていく。その一方で、本当に良いものを生み出せる人間は、一人、また一人と静かに去っていく。
それでも経営陣は、ダッシュボードに映る右肩上がりの緑色の線を眺め、満足げに微笑んでいる。
自分たちは、ちゃんとマネジメントできているつもりなのだ。