2025年の秋、AI技術が新たな波紋を呼び起こしている。OpenAIがリリースした動画生成プラットフォーム「Sora 2」。わずか数行のテキストを入力するだけで、リアルすぎる映像を自動生成できるこのツールは、驚異的な創造性を提供する一方で、社会的・倫理的な爆弾を抱えている。

非営利団体「Public Citizen(公共公民)」は11月12日、Sora 2の即時撤回をOpenAIに正式要求した。その理由は明確だ。偽動画=ディープフェイクの氾濫、そしてそれがもたらす“信頼の崩壊”である。

AIの発展は私たちの生活を便利にする。しかしその裏では、誰かの顔や声が、本人の知らぬ間に「生成」されるという新たな恐怖が拡大している。
Sora 2は、一般ユーザーが文章を入力するだけで、極めてリアルな動画を瞬時に作り出せる。だが、この“自由”が他者の尊厳を侵害し、現実と虚構の境界を曖昧にしていると多くの専門家が警鐘を鳴らす。

Public CitizenはOpenAIのCEOサム・アルトマン宛に書簡を送り、Sora 2が「安全性への配慮を欠いたまま市場に投入された」と強く批判した。文中では、OpenAIが競合他社に先んじるためにリスクを無視し、“まず公開、問題は後で”という危うい姿勢を取っていると指摘している。さらに同団体は、AIによる映像生成が民主主義を根底から揺るがす危険性を孕んでいるとも述べた。

Public Citizenのテクノロジー政策担当者J.B.ブランチ氏はインタビューでこう語る。
私たちは、もはや目にした映像を信じられない世界に足を踏み入れつつある。 政治の世界では、最初に出回った画像こそが人々の記憶に残る。Sora 2は、その“最初の印象”を意図的に操作できてしまう。」

この言葉が象徴するのは、AI生成コンテンツがもたらす“情報の信頼性”の終焉である。フェイク動画が真実として拡散される危険。これが選挙や社会運動、メディア信頼の根幹を脅かしているのだ。

さらに、ブランチ氏はこの技術が個人のプライバシーを深く侵食していると指摘する。特に女性への影響は深刻で、性的または暴力的な偽映像が拡散している現実がある。
404 Mediaの調査によれば、Soraによって生成された「女性が首を絞められる」映像がネット上で急増しており、性的暴力の新たな温床となっているという。

OpenAIは一応、ヌードや性的コンテンツの生成を禁止しているが、ブランチ氏は「“禁止”という言葉だけでは何の防波堤にもならない」と批判する。AIは創造的すぎるがゆえに、規制の網を容易にすり抜けてしまうのだ。

Sora 2は先月、iPhone版のリリースに続き、米国・カナダ・日本・韓国などのAndroid端末にも展開された。世界的に利用可能になったことで、OpenAIに対する注目と批判の声は一段と高まっている。
特に日本のアニメ・ゲーム業界が激しく反発。スタジオジブリ、バンダイナムコ、スクウェア・エニックスなどが名を連ねる業界団体が、著作権とキャラクターの保護を求めてOpenAIに書簡を送った。

これに対しOpenAIは、「ファンがキャラクターと交流する体験を求めている」としながらも、「著作権者の許可を得ない生成は禁止する」とコメントしている。とはいえ、こうした後追いの対応は「常に遅すぎる」と批評家は口をそろえる。

Sora 2に限らず、OpenAIの姿勢そのものが今、疑問視されている。
ChatGPTをめぐっても、ユーザーがAIとの対話をきっかけに自殺や妄想に至ったとして、米カリフォルニア州で7件の訴訟が起こされたばかりだ。訴状によれば、GPT-4oモデルは「危険な迎合性と心理的影響力を持つ」とされ、OpenAIがそれを認識しながらもリリースを急いだとされる。

ブランチ氏はこれをSora 2のケースと重ね合わせる。
「OpenAIは危険を知りながらブレーキを踏まない。 人々を惹きつけるために、リスクを承知でアクセルを踏み続けている。これは“技術の暴走”と言っていい。」

OpenAI側ももちろん無策ではない。マーティン・ルーサー・キング博士の家族や、俳優ブライアン・クランストン、そしてSAG-AFTRA(全米俳優組合)との間で、肖像権保護に関する協定を次々と結んでいる。
しかし、ブランチ氏は冷ややかだ。
有名人だけが守られる世界に何の意味がある? 普通の人々の肖像は、誰が守るのか。」

この問題の核心は、技術そのものではなく、それを社会にどう位置づけ、どう制御するかにある。AI生成が民主主義や文化の信頼基盤を壊す危険性を直視せずに、企業が市場競争に突き進むなら、やがて“現実”という概念そのものが揺らぐ。

AIはもはや道具ではなく、現実を再構成する力そのものになった。
Sora 2の映像は、あまりに本物に見える。だが、その“本物らしさ”こそが、最も危険な偽りなのかもしれない。

OpenAIは声明の中で「世界が新しい技術に適応する過程にある」と述べている。確かにその通りだろう。だが、適応とは無条件の受け入れを意味しない。テクノロジーが現実を再定義する時代において、私たちは今こそ問い直すべきだ。

“信じる映像”とは何か。
“本物”とは、いったいどこにあるのか。


Sora 2は単なるAIアプリではない。
それは、私たちの「現実感覚」を試す鏡である。